1970年、アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ
86年にスペインに渡り、マドリードのコンプルテンセ大学映像学科で学ぶ。その後、ロンドン「モンティ・パイソン」グループの学校「Prominent School」に入った後、帰国。
アドルフォ・アリスタラインの「Un lugar en el mundo」で助監督デビュー。長編劇映画の助監督を10数本経験したのち、98年、16mmの短編作品「Contigo Hasta la muerte (死まで君と共に)」を発表。あこがれのマラドーナをドラッグの世界から救おうとする少年を描いて注目される。2001年、短編第二作目の「La Sombra(影)」も数々の国際映画祭の招待作品となった。
本作品は、山形国際ドキュメンタリー映画祭で優秀賞を受賞した「M」のプロデューサー、パブロ・ラットがプロデューサー兼編集をつとめているが、ラットの監督作品には、トゥオッツォがプロデューサーになるなど互いに協力しながら、映画製作が困難なアルゼンチンで、地道に作品を送り出している。2008 年1月、長編2作目がクランク・アップ。ハビエル・バルデム主演で失業者たちを描いた「Lunes al Sol(日本未公開)」のフェルナンド・レオン監督と並んで、ケン・ローチの流れをくむ第三世代だと言われている。