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映画を通して知るキューバの魅力

先日、7月10日にキューバと米国の大使館がそれぞれ再開するという
ニュースが入って来ました。

そこで、本日から名古屋シネマテークで始まるラテン特集、
(特に今日はキューバ映画3連発の貴重な日なので)
2ヶ月ほど前に「女性のひろば」に書いた文章を掲載することに
しました。作品名から公式サイトの作品にリンクします。

以下、その文章です(長くてすみません)
本日7月4日上映は…
10:30  永遠のハバナ
13:00  苺とチョコレート
15:30  低開発の記憶

先日の米州首脳会議で、ついに、ラウル・カストロ国家評議会議長とオバマ大統領の会談が実現し、国交正常化交渉の進展に向けて注目を集めているキューバ。このちょっと不思議で魅力的な国が、ラテンアメリカ映画の配給を始めるきっかけを作ってくれました。
それは、2003年、首都、ハバナで毎年12月に開催されている新ラテンアメリカ映画祭で出会った「永遠のハバナ」という作品です。

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初めての映画祭が、「なぜキューバ?」と良く聞かれますが、それは81年から82年に留学した、メキシコのケレタロ自治大学で、学生たちを「同志」と呼ぶ教授のマルクス経済学の講義に大きな影響を受けたからです。

メキシコは、いち早く革命が起こったにも関わらず、当時は一党独裁で経済危機に喘いでいましたし、チリやアルゼンチンは軍事政権下。その中で、無償で医療や教育を提供していたキューバが燦然と輝き、いつか必ず行こうと思ったのです。

その約20年後に訪れたハバナは、映画祭の熱気と共に、人々のエネルギーが充満する街でした。当時は、まだ、街のあちこちに警官がいて、外国人と一般のキューバ人が接触するのを阻止していましたが、映画館では一緒に観るので、会話も自由。特に独りで観に来る映画好きの女性たちとの意見交換はとめどなく、その口コミ伝播力が、半端でないことも分かりました。

「永遠のハバナ」も、初めて、ハバナに住む市井の人々の暮らしがスクリーンに映し出されたことから、連日、満席。セリフなしで、街の音と音楽で綴られる1日の物語に圧倒されながら、エンドロールで観客からわき起こる拍手に胸が熱くなり、無謀にも日本で配給することに…。

その後、2009年まで毎年、映画を通して、それまで知らなかったキューバの歴史や、監督たちの想いを学ぶことになりました。

1959年の革命勝利の直後に、キューバ映画芸術産業庁(ICAIC)を設立したフィデル・カストロは、大の映画好きとして知られていますが、農地改革を初めとする政策を浸透させるために数々の映画制作を命じました。

まだ文字が読めない人々が多かったので、映像で伝えるためです。
(☆1)その意向に協力した映画監督の代表格が、トマス・グティエレス・アレアで、
イタリアのチネチッタでネオ・リアリズムを学んだ、いわゆる、ブルジョア階級でしたが、革命後のキューバに大きな影響を与え、キューバ映画の代表作
「低開発の記憶」(1968) 

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「苺とチョコレート」(1993)

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を撮りました。実は、アレア監督は1961年にある作品が上映禁止になったことに抗議してICAICの委員を辞任し、教条主義に陥ることにいち早く、警鐘を鳴らしました。

キューバ革命は元々、建国の父、ホセ・マルティが提唱する「平等主義」を掲げて勝利したのですが、亡命キューバ人を使った米国の攻撃(ピッグス湾事件)や空爆で、1961年に社会主義革命を宣言。ブルジョア階級が次々とキューバから出て行きました。

この時期からキューバ危機までを描いたのが「低開発の記憶」で、キューバに残ることを決めたブルジョア階級のセルヒオを主人公に、ドキュメンタリーとフィクションの融合を成功させた例として今も各国で上映されています。

また同じくアレア監督の「12の椅子」(1961)は、オールロケで当時の街並をカメラに収めながら、国有化された椅子を追うブルジョア男の悲喜劇、

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「ある官僚の死」(1966)は、叔母の年金のために、叔父の墓を掘り起こす甥のドタバタ喜劇ですが、根底には政府や官僚主義への批判が隠されています。

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米国のアカデミー賞外国語映画部門に史上初ノミネートされたキューバ映画「苺とチョコレート」(フアン・カルロス・タビオとの共同監督)も、同性愛者の芸術家と革命シンパの学生の間に芽生える友情を描いています。

フィデル・カストロがアレア監督を尊敬していたから、自由に撮れたのだという人もいますが、他の監督作品でも、どこかに現状への批判が隠されています。こうして、映画を通してみると、単なる社会主義国としてではないキューバが見えて来ます。

もちろん、未だに政治犯として収監されたままの人々もいますし、革命記念日には国旗を振るために動員されますが、パレード終了後は、みな、国旗を道端に捨てて行くので、回収車が出るほど。一筋縄ではいかない国民とどこか諦めにも似た政府の構図が見えて来ます。キューバと米国の関係も、互いに全く閉ざしていた訳ではなく、「永遠のハバナ」では、亡命者用のマイアミ行きのフライトがあることが分かりますし、ハバナの映画祭には米国人が数多く来ていました。

キューバに渡航すると罰金2万ドルのはずでしたが、映画祭の公式サイトには堂々と「米国からの参加者は○○旅行社を使うこと」という指示があり、米国当局にバレないようにトロント経由ハバナ行きのチケットを取ることができたのです。(当時は入国スタンプなしでした)

今、話題となっている両国大使館の再開も、実は、ハバナには米国の利益代表部のビルが、ワシントンにはキューバの利益代表部の建物があるので、決まれば早い、と言われています。「看板代えればいいんだから」と。

しかし、米国の経済制裁は、ICAICの資金不足も招き、数年前から映画監督たちは、欧州から資金を調達してインディペンデント作品を撮るようになりました。ICAICも、それは阻止できず、互いに協力的な関係を築く姿勢へと少しずつ変わってきています。

米国との国交正常化に映画関係者が期待していることは、米国でもキューバ映画が自由に観られるようになること、それによって、資金調達が可能になり、検閲が緩和されることでしょう。

リーマンショックが起こった時に、あるキューバ人監督が言いました。
「経済危機なんて怖くない。生まれてこの方、ずっと危機だから」と。

日本の閉塞感と暴走する政府に歯軋りするたびに、キューバの映画人たちの苦境を笑いとばすしなやかさ、どんな状況でも映画を撮ろうとするエネルギー、そしてユーモアに忍ばせる批判の精神が、今こそ必要だと痛感しています。

☆1その後の識字運動で識字率は世界でもトップクラス、2013年の統計では99.9%

この中で紹介できなかったのがウンベルト・ソラスの女性を主人公にした3部作
「ルシア」です

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永遠のハバナ 予告編

低開発の記憶 予告編