default img

ラテンな映画と監督たち(ベルリン映画祭2)

前回、グアテマラのジャイロ・ブスタマンテ監督だけで終わっておりました、このシリーズ、今回は、スピードあげていきますよ。(←ほんまかいな?)

まずは、コンペから。

「Ixcanul」と同様に期待していたのが、日本でも「NO」が公開された、チリのパブロ・ラライン監督作品「El Club」でした。1976年生まれのラライン監督、1作目の「Fuga」から注目しておりました。日本では、ラテンビート映画祭で上映された「Tony Manero」を覚えてらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、あの作品からすると「NO」は、分かりやすくて正統派。ガエル・ガルシア・ベルナル主演でしたし、アカデミー賞狙いに行くぜ!な感じでした。

その監督の真骨頂が戻って来た、と思ったのが、今回の「El Club」。

チリのとある小さな港町。高齢者の男性4人と40代(?)ぐらいに見える女性ひとりが一軒家で、暮らしています。最初は、小さな老人ホーム?とか思うのですが、次第に分かってくるのは、彼らが元カトリックの神父だということ。女性もシスターでした。規則正しい生活とつましい食事。でも、時にひとりの神父が犬を鍛えて、ドッグレースに出しています。それを双眼鏡で遠くから見る老人たち。そこに、新入り神父が来るのですが、その彼を名指しにして、ののしる男が、家の前に来て、幼い頃に何をされたかを叫びまくります。それに耐えられなくなった新入り神父は、静かにさせろ、と渡された銃で、自殺します。

そうなのです。ここにいる神父たちは、みな教会にいるときに性的虐待の疑いをうけ、沈黙と矯正のために、この小さな一軒家に送られてきたのです。

そこへ、教会本部から、査察官のような男が来ます。なぜ、その家に銃があったのか。何が起こったのかを調査するためと、全国にある、小さな家を閉めて、元神父たちを大きな施設に入れるために。

査察官がそれぞれから聞き取り調査を行うのですが、その緊張感たるや、最後にはグッタリするほどの映画でした。それぞれの役者がとても良くて、会話と表情で描写される「原罪」に震えがくるほど。そして最後の最後に、赦しとは何か、ということを観客に突きつけて来ます。これは、もう、真っ向からのカトリック批判です。

でも、「バッド・エデュケーション」とか「アマロ神父の罪」と違うのは、批判の質で、過去のこととしたい元神父たちの罪以上にカトリック内部の深いところで起こっていることを、これでもか、とえぐり出しているところ。一緒にいたシスターは一体、何をしたのか…。そして、査察に来た教会幹部は、どうやって罪を償わせることにしたのか。

いやはや、終わったあとには、強い酒が必要になりそうな作品でした。「NO」のように分かりやすくはないので、公開は難しいでしょうが、これまでラライン監督作品を上映してきたラテンビート映画祭に期待!です。

ラライン監督は兄弟たちと製作会社を持っていて、プロデューサーとして、セバスティアン・シルバ監督作品にも関わり、アベル・フェラーラ監督の「4:44地球最後の日」の製作も行いました。

まだ30代なので、今後がとても楽しみです。

コンペに出ていた、もう一作もチリ出身、パトリシオ・グスマン監督「El Botón de nácar」

これはドキュメンタリー作品で、前作「光、ノスタルジア」と対をなしている感じ。そうそう、「光、ノスタルジア」は、ついに、今年、10月に岩波ホールで劇場公開されるようです。パトリシオ・グスマン監督は、アジェンデのドキュメンタリーも撮っていて、ピノチェト時代にチリを出ています。妻もドキュメンタリー映画監督ですが、娘と共にキューバに亡命しました。娘は、2009年のキューバ映画祭で上映したドキュメンタリー「シュガー・カーテン」のカミラ・グスマン監督です。 父のパトリシオは一貫してピノチェト政権の傷跡を撮り続けていて、前回がアタカマ砂漠の天文台なら、今回は、海底です。何やら3部作になる予定のようで、これはアップリンク配給に期待です。

今回、ラテン関係といえる映画として「グアナフアトのエイゼンシュテイン(原題)」がありましたが、ピーター・グリーナウェイ監督作品で主に英語でした。予告編を観て、映画は観ず。

おっと、また長くなってしまった!!!

パノラマ部門の気になる1作は、また明日。