一昨日の朝、リオ・デ・ジャネイロから帰国された
音楽プロデューサーの中原仁さんが昨夜、「聖者の午後」の
フランシスコ・ガルシア監督とトークして下さいました!
いやはや、もう50回以上は、ブラジルに行っている中原さん。
今回は、高野寛さんのレコーディングのために3週間、
滞在されたようです。
中原仁さんブログ
そんな中原さんの質問は、映画の内容から音楽に渡ることまで。
短い時間で、本当に奥の深いトークになりました。
(デジカメのバッテリーが切れて携帯で撮ったので
セピア色~)
特に印象に残っていることは、監督がステレオタイプの
ブラジルを排除したかったこと。ブラジルと言えば、
色鮮やかで、サンバ、ボサノバ、カーニバル、と思われるけれども
実際にサンパウロに住む30代にとっては地下で演奏される
ロックや灰色の街が現実だから。
でも、同時に、それが監督が生まれ育った街であり、
愛してやまない街であること。
リオ・デ・ジャネイロだと、どこにカメラを置いていいのか
分からないけれど、サンパウロなら分かる、と。
そして、登場人物3人のテーマ音楽を初め、オリジナル
楽曲を作ったウィルソン・スコルスキは、監督の父親の
友人であり、実験音楽を作っている人(パンフにちょこっと詳しく
書いてます)で、地下のバンド(監督の友人たちで、あの曲は持ち歌)が
演奏する曲と、サティの「ジムノベディ」以外はウィルソンが作曲したということ。
ルアラが謎のパイロットとワインを飲むシーンで
なぜ、「ジムノベディ」を使ったのかなどなど。
監督の想定は、観る人に自由にとってもらうためだと
いうことなので、ここにはあえて書きませんが、
中原さんだからこその突っ込みに、監督は楽しそうに
話していました。
トークの前にお話していたときに、中原さんが、
「ブラジルは最貧困と呼ばれる層が、ルーラ前大統領の政策で
底上げされたけれども、そこで、置いてけぼりになったのが、
この映画の主人公たちの層、中流とは言えないけれど、最貧困でも
ない、中流の下にいる人々なんだよね」と言われました。
パンフに寄稿いただいた作家の星野智幸さんも、
この映画の3人は社会から一番「忘れられた人々」だと。
どこにも行けない、今のままではダメだけど、
中々、一歩を踏み出せないでいる。
「死ぬより生きる方が怖い」と思いながら、
生きているグダグダでダメダメな3人をどう見るか、
映画の最後をどう見るかは、観た人それぞれが、どう
生きているか、という反映でもあると思うのです。
字幕をつけるために、何十回も観ながら、観る度に
そこここに隠喩を発見し、ほくそ笑んでいたけれど、
中原さんとのトークで、今一度、劇場で観てみようと
思った次第。
ポルトガル語が流暢な中原さんと監督との会話も
そばで聞いていてワクワクしました。
トークの内容は、そこにいて下さった
観客の皆様のものですので、すべてを書くことは
しませんが、いなかった方々にも
少しお裾分けすべく、書きました。
明日(4/1)の夕方にガルシア監督は帰国の途に
着きますが、その直後に、映画を観てくれた相方、
なっちゃんと、USTで「映画、言いたい放題」を行う予定です(21:00~)。