映画の35mmフィルムが滅亡の危機にある。
あと5年ぐらいで、なくなるだろうと言われているのは、
米国のメジャー(映画会社)が、DCP(デジタル・シネマ・
パッケージ)という規格で、配信を進めているからだ。
アメリカ大陸は広い。だから全米一斉公開なんかに
なってしまうと、何十本もフィルムをつくって
搬送しなければならない。
それを1つのDCPファイルをサーバーに置くことで
遠くの映画館にダウンロードしてもらったり、
配信できるようになるってのが、DCPのキモだ。
統一規格にすれば、世界中どこでも上映できる。
まるで夢のようなお話…。
なのか?本当に?
そして、映画館にそのシステムを導入するために
配給も金を出して、普及させようというのが、
VPF(バーチャル・プリント・フィー)なるもので、
DCPシステムを入れている映画館で上映するなら、
配給もVPFを管理している会社と契約して
負担金を支払おう、ということ。
まずは大手のチェーン映画館が大手電気メーカーと
契約して、すすめている。
全国同時公開するなら、フィルムに比べてコストが
グンと下がる。特に3Dとなれば、それはもう、
比べ物にならないだろう。
すべての映画の規格を統一して、どの映画館にでも
かかるようにすることは、逆に考えると、製作や
配給サイドの自由がなくなるということだ。
私は前作「ルイーサ」までフィルム上映してきたが、
それは、監督がフィルムにこだわって作った映画だったからで、
本当は、コスト高に泣いていた。
まず、ニュー・プリントを作る。
「ルイーサ」では、「ちょっとしか回してないフィルムあるから
安くしとくよ」と言われて、輸入したら、つなぎ目に雨が
ザーザー降っていて、泣きながらニュープリントを注文した。
とほほ。(安物買いの銭失い、とは、このことだわ)
そして、アルゼンチンから日本までの輸送費。
通関費、レーザー字幕費(フィルムに字幕を入れる)を
考えると、もうそれだけで目がまわるほど出費がかさむ。
テレビ用にHDCAMを作るのも、ニュープリントと言われても
埃ついているから、とフィルム・クリーニングをするのも高価!
今回の「グッド・ハーブ」は、監督が、デジタルで
どこまでフィルムの質感が出せるか勝負した作品なので
ブルーレイにした。本来ならHDCAMで出したいけど、
劇場に再生機がないので、涙をのんでブルーレイ。
それでも質感が十分に伝わる映画だと、メキシコで
観た時に思った。
資金不足のラテンアメリカの独立系映画は、
大半がデジタルで撮影されるのだが、各国の映画祭の中で、
他の賞に混じって Premio para la primera copia
という賞があって、デジタルから1本目の35mmフィルムに
キネコする費用がもらえる。
フィルムにすることで、初めて映画になった、という感覚。
フィルムはデジタルより断然、解像度が高いし、
光と影の奥行きが違うから。コンテンツではなく、映画。
それを感じさせてくれるのが35mm。
そういうことを言うと、「君は古いねえ。世界はもう
フィルムじゃないよ」と言われるけど、
私は、あの質感がとても愛おしいのだ。
だから、世界がどうであれ、映写機を撤去するということ、
統一規格でしか上映させない、ということは、
ひとつの文化をつぶすことだ、と認識すべきだと思う。
「ハリー・ポッター」を観たい人々にとっては、
できるだけ早く観たい、と思うのも分かる。
3Dなら余計にそうだ。ひとつのファイルで、
全国の映画館がいけるなら、これまでフィルムが
まわってくるのを待っていた人々にも、早く届く。
でも、せめて単館作品をかける映画館には
選択肢を残しておいてほしい、と思う。
映写機を撤去すれば、映写技師もいらなくなる、
ムヴィオラでフィルムを回しながら、音を聞いて
字幕のスポッティングをする技術者も、フィルムに字幕を
焼き付ける技術も不要になる。
人と技術がなくなれば、文化も継承されない。
ラテンアメリカでも3D映画は作られているし、
デジタル上映もされているが、それは大手の話。
これから独立系がどのように動くのか、こちらとしては、
そこを注視するしかない。
現在の米国規格だとPALを採用しているアルゼンチンなどは、
フィルムからデジタルにしなければならなくなる。
それって、どうよ、って感じなので、まだまだ、
先は長いと思うけど、どの方向にいくのか、
色々、話をしてみたい。
それからでも遅くないと思うから。
欧米主導の波にのらねば、というよりも
これから先、映画がどうなっていくのか、
ということを、じっくり見つめたい。
どちらにせよ、自由とひとつの文化を手放す、
という自覚が必要だと思うから…。