以前、All Aboutで「人生はカーニバル」と
いうコラムをやっているときに書いたものです。
すでにサイトがしまっちゃったので、ブログに
随時掲載していくことにしました。
歌って踊って楽しい人生!!
表面的にはそう見えるラテンな人々の生き方だが
30年に及ぶ付き合いの中で、実は、彼らの根底に
なにか確固たるものがあるから、苦しい時に歌ったり、
踊ったりできるのではないか、と思い始めた。
ここに書くのは、私が出会った人々から学んだ
ことなので、他の人は違うかもしれない、ということを
初めに言っておきたい。
ラテン系といえども、踊れないキューバ人(カストロみたいに)、
ネクラなメキシコ人、ワイン嫌いのアルゼンチン人も
いるからだ。当たり前だけど…。
出会えた人から学べたこと。
出会った出来事から学べたこと。
しつこいけれど、それは他の人には
当てはまらないかもしれない。
キューバがラテンアメリカの中で比較的安全だと
私が思っていても、ハバナで身ぐるみはがれた人は、
そうは思えないのと同じである。
だが、その昔、メキシコでひょんなことから
流れ弾に当たりそうになった私にとっては、
キューバはとっても安全だ。
カツアゲに来る人だって銃は持ってない。
(カツアゲされたことは、まだないけど)
なので、すべては相対的。
初めにしつこく書いているのは、
ラテン好きの人々の中には、自らのラテン感こそ
正しい、という頑な人々がいるからだ。
私はそれを否定する気は、さらさらないし、
自分の考えを押し付けることもしない。
だって、誰と接するか、何と遭遇するかで
違うと思うから。
また、私が学んだ人々の中に、お金持ちはいない。
ラテン系のお金持ちは、日本とは比べ物にならないほど
超リッチ!なのだが、私にとっては、あまり面白くなかった。
(ビジネスで攻めているように見えて、
私生活では守りに入っているからかも?)
私の師となったのは市井の人々だ。
大学に行ける友人たちから、廃棄処分になった
電車の車両に住んでいる人々まで。
最初は、1981年にメキシコの田舎町
ケレタロ自治大学に公費留学した時のこと。
奨学金は月5万円。それが3ヶ月ごとにドル口座に
振り込まれていた。当時は1ドル=26ペソ、
1ペソが約10円。大学の授業料を免除してもらって、
やっと暮らせる程度だった。
なのに、途中で、ペソの大暴落が起こって、
何と、あれよあれよという間に、1ドル=72ペソまで
落ちたところで銀行のドル口座が凍結された。
(と、記憶している)
それも突然。
何の前触れも無く…。
その後もペソは暴落を続けて、確か
1ドル=148ペソまで下がったはず。
一文無しになった私を助けてくれたのが、
友人たちからの食事の誘いと言葉だった。
「心配するな。まずは食べろ」
「すべてはうまくいくから」
「考えても仕方がないことは、考えるな」
「いつか良い時がくる」
当時、若干21歳だった私は(若いっ!)
「人ごとだと思って、そんな簡単に言わないでよ」
と反発していたが、それが反転したのは、
電車の車両に住んでいた友人が、食事に
誘ってくれた時だ。
彼と彼の妻には、卵が一個しかなかった。
それを私と3人で分けて食べよう、と
言ってくれたのだ。
乳飲み子を抱いた彼の妻は、
素敵な笑顔で迎えてくれた。
私はいたたまれなくなって、
「1個しかないのに、食べられない」と言ったら、
「心配しなくていいよ。明日はまた、何とかなる。
今は、妻と君と3人でこの卵を一緒に食べたいんだ…」
これまでの人生の中で、
苦しくなった時に必ず思い出すのは、
この電車の引き込み線での光景。
良いお天気だったので、外にテーブルを出して、
スクランブルにした1個の卵を3人で食べたこと。
なぜ、そういう生き方ができるのか、と。
明日、どうなるか分からないときに、
なぜ、人に差し出せるのか。
あれから30年も考え続けている。
自分だったら、独りで食べてしまうであろう、
ひとつの卵のことを…。
暑くなると聞きたくなるセリア・クルスの
「La vida es un Carnaval」