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ラテンな抱負「ゆっくり」生きる

みなさま、明けましておめでとうございます。
どんな年明けだったでしょうか?
受験生を持つ妹から「今年の目標は?」と聞かれ
はてさて、毎年、同じような目標言いながら
(「人として成長する」とか「売り上げを○○にする」とか)
全く達成していないし、できないよなあ、と、ふと考えたのでした。
そこで、できること、したいことを抱負にするってのはどうか、と。
そう言うと、妹に絶句されました。^^;))
はい、あちらは受験生の母なので、
「何をほざいとるんじゃ~~!」と言いたかったのでしょう。
でも、めげない。
ワタクシ、この考えに自分で感心したもので
(アホか!という声も聞こえますが)
そのまま、今年の抱負を語ることに。
「ゆっくり生きる」
つまり、焦らない、慌てない、周りの空気に巻き込まれない、
という3ナイづくし。
というのもですね、年末から元日にかけて、久々に
テレビを見てみたのですが、どこもここも、
変にテンション高かったり、無理矢理盛り上げたりして
とっても疲れたのです。
地上波は特に、声が高くて早口の人が多いこと。
聞いているだけで、酸欠になりそう~。
大半が討論番組でしたが、見ていると一緒になって
気が上がって来て、胸が苦しくなるのでした。
みなさま、口から出る言葉は「この経済状況で」
「景気が悪いから」「こんな時代だから」
「若者が○○で」「高齢者が○○で」。
もちろん、そういう問題はイヤというほど
身にしみております。両親も思い切り高齢ですし、
去年はリストラの憂き目にも遭い、
会社も家計も火の車状態なので、そんな私が、
「ゆっくり」してどないすんねん!と
言われることも覚悟の上。
それでも、この状況に巻き込まれてアタフタして
果たして解決策は見つかるのか?という
疑問が去年、1年ふつふつとわいていたのでした。
皆で「大変だ~、大変だ~」と言い続けることで
まわりの空気がぎゅっと閉じてくるような感覚が
あるのです。
一人一人が知らず知らずに生み出す、
その空気に閉じ込められると抜け道がない気がします。
年末どれほど「人身事故」でダイヤが乱れたか、
気づかれた方も多いと思います。
ほぼ、毎日のように、線路に身を投げてる人がいる、
ということ。
人々が追いつめられるのは何故なのか。
この空気に巻き込まれて、出口がなくなって
しまったのではないでしょうか。
それを変えて行けるのは、一人一人の意識しか
あり得ない、と思うのです。
せめて、マスメディアの紋切り型な
枕詞を自ら口にしないことでさえ、少しは
空気が緩むのではないか、と。
ま、思い切り楽観的ですが、それでも空気を作っているのは
マスメディアの煽動に巻き込まれてしまう私たちだと
思うのです。
「先が見えない不安」とか「閉塞感のある現代」とか
「心の闇」とか。
毎日耳にしているから、つい、使ってしまいがちな言葉ですが、
人の言葉ではなく、自らの言葉で話そうとすると、
1つ1つの問題をもっと具体的に掘り下げなければならないし、
自らを起点とすれば、上記の言葉は、実は、何も言っていないに
等しい。だって、もう感じているのだから。
そこから出発して次に、だから自分はどうするか、
どう考えるか、ということこそが大切になるのだと
思います。
「ゆっくり」は、日頃の生活でできることだらけ。
ゆっくり話す、ゆっくり食事する、ゆっくりお風呂に入る、
ゆっくり考える…。
これなら、毎日、検証できるし、何かに急かされた時にも
深呼吸できるのではないか、と思うのです。
メキシコで一緒に住んでいた女友達が、
何か問題が起こるたびに
「まずは、何か食べよう」と言っていました。
ショックで食事が喉を通らない、と思うときでも、
なけなしのお金で何か作る、そして、少しでも食べる。
それから眠って、起きたら、ゆっくり考える。
お腹がすいている時、睡眠不足の時は脳に栄養と
酸素が足りなくなっているから、考えられない、
というのが彼女の持論でしたが、今、まさに、
それを思い出す時がきた気がします。
1年後、果たしてこの抱負が実践できたかどうか、
ここに書いておくことで、検証できれば、と。
今年もラテンな映画を配給する予定です。
(ま、サインしちゃったんで、後は資金を
どう調達するか、ってことですが)
映画業界も渋谷のミニシアターの続々閉館の
ニュースで沈滞気味ですが、その雰囲気に巻き込まれず、
どこまでやっていけるのか、試してみたいと思っています。
世界一、小さな配給会社として、「ゆっくり」粛々と
無冠の名作を世に出していければ、と。
こんなワタクシですが、今年も、よろしくお願いします。
景気付けに、またまた、El General Paz & La Triple
Fronteraの Carnavaleroを。