「激情」TIFF審査員特別賞受賞
長編2作目の前作『タブロイド』が日本でも公開され、高く
評価されたエクアドル映画界期待のエース、セバスチャン・
コルデロ監督の3作目(アジアン・プレミア)。
実際に起きた連続殺人事件にインスパイアされ、
自ら執筆した脚本がサンダンス・NHK国際映像作家賞“
ラテンアメリカ部門”に輝き、アルフォンソ・キュアロン
監督のプロデュースで映画化が実現した前作だが、今回は
「XXY」のセルヒオ・ビッチオによる原作小説をコルデロ監督
自身が脚色、ギレルモ・デル・トロ監督がプロデューサーに
名前を連ねた作品だ。
スペインで働く南米出身の若いカップルを主人公にした物語で
2人は、まだ知り合ったばかり。情熱的な愛を交わすことに
精一杯で、互いの境遇はもちろん、フルネームさえ知らない
間柄である。
女は裕福な老夫婦が住む屋敷で住み込みのメイドの職を得た
ローサ(マルチナ・ガルシア)。老夫婦の放蕩息子がたまに
家に現れるが、ふだんは静かな生活を送っている。
男は建築作業員ホセ・マリア(グスタポ・サンチェス・パラ)。
そんな2人が、これから、お互いのことを知ろうとしていた
矢先に、事件は起きた。
現場の上司に罵倒され、クビを言い渡されたホセ・マリアは、
工事現場に舞い戻り、その上司を怒りに任せて殺してしまう。
逃げ場所に窮した彼は、ローサが住み込む屋敷の空き部屋に
身を隠し、ローサの動向を秘かに窺う生活を始める。
もちろんローサはそんなことは露知らず、たまにある彼の
電話は遠方の逃亡先から掛けていると思い込んでいる。
やがて自分が妊娠したことを知ったローサは…。
原作の舞台はアルゼンチンだが、それをスペインに移し、
主人公を南米からきた出稼ぎ労働者に設定したことで、
移民問題の側面をも浮かび上がらせた作品であり、加えて
江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』の趣をも持つサスペンス
タッチのラブ・ストーリーということで、とても期待して
鑑賞したのだが…。
確かに、コンペ作品の中ではハイクォリティなので、
審査員特別賞の受賞にも文句はないが、残念ながら、
監督の前作を超える作品には仕上がっていなかった。
監督の演出力に不足はない。セットではなく、バスク地方に
ある本物の屋敷内で撮影された本作は、その家自体を物語の
要として上手く使っているし、伏線の張り方やカメラワークも
実に巧みで、キリキリとした緊張感がみなぎっている。
心理描写にも長けており、電話の使い方ひとつにしても、
鮮やかな演出でサスペンスを盛り上げている。
だが、総体的に見ると、出来の良い“火曜サスペンスドラマ”
の域を出ることができぬままに終ってしまっているのだ。
なぜか? その最大の理由はキャスティングにあると思う。
はっきり言って、主演男優がミスキャストなのだ。
演技力うんぬんではなく、その俳優の顔が悪人づら過ぎる上、
どう見ても中年男にしか見えないので、“若気のいたりで…”
というエクスキューズが通じず、観客の共感を得難いのだ。
聞くところによると、主演男優は4ヶ月で13キロ落とす
過酷な減量後に撮影に臨み、徐々に体重を増やしながら
物語を逆行していく形での撮影に挑んだらしく、鬼気迫る
熱演をみせているから、悪く言うのは気がひけるのだが、
この人選ミスはイタイ。
ホセ・マリアは見る者の同情を得なければならない役である。
上司が死ぬ場面において、観客に“そりゃ、どつきたくなって
当たり前だよね”と思ってもらうことが何よりも肝心なのだ。
それがあってこそ、後々の奇妙な“遠距離恋愛”の哀感と壮絶さ、
ホセ・マリアの狂気をはらんだ運命が際立ってくるのだから。
人気のガエル・ガルシア・ベルナルやディエゴ・ルナ等の
スターを使えとは言わないが、もう少しナイーブな感じが
出せる善人づら(これが大事!)の若手俳優を起用すべき
だったと思う。
主演女優が、まさにはまり役だっただけに、実に惜まれる。
それと瑕疵ながら、音楽の使い方も少々あざとい気がした。
それでも、脚本家としての監督の手腕には感服していたし、
オリジナリティにあふれるユニークなストーリー展開にも
大いに興味を覚えたので、原作小説を脚色するにあたって、
どの点をどのように変更したのか、公式記者会見で監督に
聞いてみた。(*以降、結末にもふれるので要注意!)
●原作ではホセ・マリアは4年間も隠れ住むが、映画では
ストーリーにより信憑性を与えるために数ヶ月の物語にした。
●映画ではローサの赤ちゃんの父親はホセ・マリアだが、
原作では別の男の子供。
●原作でのホセ・マリアはネズミに咬まれ、病気になって死ぬ。
映画でも最終的には死ぬが、死に方が異なる。
以上が、大きな変更点だという。